『境界カメラ』ナリモトD失踪事件を担当する寺内康太郎は『監死カメラ』の6作目から監督を務めていた。
オレは断言する。
寺内康太郎は、鬼才である。
たぶん、寺内本人はこの怪文書みたいな記事を読むと思う。
というか、絶対に読む。
それは別に寺内がエゴサーチなりネットパトロールでインターネットを常に監視しているから、というわけではなく、寺内は自身が大きく関わっている『境界カメラ』を愛しているからに他ならない。
寺内は『境界カメラ』を観た視聴者の感想を、それが非であろうが是であろうが関係なく知りたい。
肯定の意見はもちろん嬉しいし、たとえ否定であってもそれが建設的な意見であれば、その声にも率直に耳を傾け、次の作品でよりよいものを創ろうとする。
寺内はそんな男なのだ。
だから、『境界カメラ』について語っているこの記事を寺内が読んでいるとオレは断言する。
ここで少しややこしい点があるとしたら、寺内のいう『境界カメラ』は、DVD化されている「ナリモトD失踪事件」のことであり、『境界カメラ』のすべてのコンテンツを指し示しているわけではない点だ。
『境界カメラ』についての詳しい話は、別の項で述べることにする。
鬼才と言われた寺内本人は、おそらく「そんなことないですよー」と少し関西弁の入り混じった柔和な声で謙遜するだろうが、「いやいやテラコーは鬼才だよ」とオレは返したい。
ちなみに「テラコー」というのは、寺内康太郎が自身をそう呼んでくれと常々望んでいた愛称のことだ。
当初は寺内のことをテラコーと呼ぶ人たちはあまりいなかったが、寺内自身が散々、テラコーと呼んで下さい、テラコー呼んで下さい、と言っていたので、最近ではその愛称が定着した感がある。
寺内の愛称といえば、最近では「K.T.BOY」というのもある。
康太郎・寺内・ボーイ、という意味だ。
これは、寺内康太郎のもはや友達ともいえる映画監督夏目大一朗と夏目組の女優、西川千尋(『監死カメラ』3では木村千尋という名前で登場していた)のニコニコ生放送有料チャンネル『心霊調査ビッグサマー』に寺内がゲスト出演した際、「夏目さんと西川さんの新しいキャラは心霊探偵がいい」と常人では考えつかない頭がアレな提案をして、夏目たちにハンチングを手渡した。
心霊探偵としての愛称として、夏目大一朗は夏目からナツ、西川千尋は千尋からチー、「じゃあ、寺内さんは?」と夏目から訊ねられた際、寺内自身が自ら望んだ愛称が「K.T.BOY」であったというわけだ。
と、ここまで書いたところで、お前はいったい寺内のなにを知ってるんだと、思われるだろうが、別に寺内のすべてを知っているわけじゃない。
だいたい、四十過ぎのおっさんがこれまた四十過ぎのおっさんについて、よく知ってるんですよ、ゲヘゲヘ、と笑うのも気持ち悪いことこの上ないことだ。
話を元に戻す。
映画監督としてキャリアのある寺内康太郎が携わった『監死カメラ』だが、すでにいた人気キャラクター金田萌黄(キンタ)や魔術堂カトールに続き、寺内は新たなキャラクターを発掘投入する。
──菅野君である。
廃墟に突入し、カメラを横パーンすることで幽霊を映し出す、心霊撮影に特化した、ある意味能力者の菅野君であるが、彼の存在は余程母性本能をくすぐるのか、多数の女性ファンを『監死カメラ』に引き込んできた。
視聴者からの人気が非常に高い、演出補の金田萌黄(キンタ)、オカルトに詳しい魔術堂カトール、そして、廃墟マスターの菅野君は、KKKと呼ばれている。
寺内は自由気ままに動き回るKKKをあたかも猛獣使いのように使いこなし、エキセントリックな映像を撮り続けていく。
そんな寺内康太郎がディレクションをした『監死カメラ』の作品中、オレが個人的に一番大好きな作品が『監死カメラ』16の「物質霊」である。
これにはKKKは登場しない。
アニミズムといって、それがただの物質であったとしても万物のものに霊が宿っている、という考えがある。
このアニミズムをテーマにした作品であり、ゴミ捨て場に打ち捨てられたパソコンの霊や電子レンジの霊、終いには空に浮かびあがるビルの巨大な霊まで出てくる。
この作品はオチのあるお笑い系のショートショートなのだが、しかし、オレはこれを見たオレは笑うというよりも怖いと思った。
正直いって、投稿系ホラーを見て、怖いと思うことは少ない。
怖さでいえば、昔の『ほんとにあった!呪いのビデオ』のバレリーナとか不気味な女とか首の家はわりと怖いと思うが。
この「物質霊」はビジュアルとして単にパソコンであったり、電子レンジであったりビルであったりするわけだから、ぱっと見として怖くは見えない。
だけれども、そんな表面上の映像ではなく、もっと心の奥をえぐるような怖さに満ちているとオレは思った。
たとえば、子供のときに幾度となく聴いた『およげ!たいやきくん』。
子門真人の渋い歌声もあって、この曲は454万枚セールスという日本記録を樹立し、最早記録を塗り替えることが不可能なほど大ヒットしたのだが、オレからしてみれば何回聴いても、気持ち悪さと怖さを覚えるしかなかった。
ちゃんと聴いてもらいたい。
これこそ、たいやきという無機質な生命体の、心からの叫びではないか!!
死ぬ前の走馬灯だよ、これ。
たいやきの。
しかも、最後、海水でめっちゃ濡れているのに、おじさん食っちゃうんだよ、しかも美味そうに。
怖ええよ。
万物には霊が宿っている。
そこからどんどんと突き詰めて考えていくわけだ。
すべての命に霊が宿っている。
だったら、食べる、という行為ってどうだ?
命を奪うから、肉は食わない。
そんなことを言う人たちがいる。
だけど、野菜は、果物は、命を奪うことにはならないの?
だいたい、生きるってなに、人間ってなに、なんのために生きてるの?
うわわあああああ。
『監死カメラ』の一エピソードから、行き場のない考えが次々と変な妄想が浮かびあがってくる。
怖さのスイッチは人それぞれにある。
寺内は「物質霊」という作品によって、オレの恐怖のスイッチをオンにした。
『およげ!たいやきくん』に対してオレが抱いていた恐怖を何十年という時を経てふたたび寺内によって思い知らされたのだ。
たったそれだけのことかもしれないけど、ただオレ本人にとっては、たったそれだけとはいえないのだ。
子門真人に次いで、オレは寺内康太郎から感情を揺り動かされた。
だから、オレは断言する。
寺内康太郎は、鬼才である、と。
そして、『監死カメラ』に続く『境界カメラ』ナリモトD失踪事件を見て、その思いは確信に変わった。
寺内康太郎は、ヤバいやつだ、と。
次回は、寺内が『境界カメラ』の立ち上げに参加した理由について考察したい。
もちろん、オレの勝手な想像や妄想だ。
電波な記事はまだまだ続く。
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