【心霊玉手匣1】唯一無二のモキュメンタリーホラー『心霊玉手匣』

心霊玉手匣



『心霊玉手匣』という映像作品がある。

演出補、演出として『ほんとにあった!呪いのビデオ』を長い間支えてきた岩澤宏樹が出演・脚本・撮影・編集・監督し、『ほん呪』卒業後に満を持して世に出したモキュメンタリーホラーである。

モキュメンタリーとは、架空の人物や出来事、事件などを現実に存在しているかのようにドキュメンタリー風に撮影する映像手法のことだ。

本作は、2014年リリース『心霊玉手匣』、『心霊玉手匣 其の二』、2015年リリース『心霊玉手匣3』、『心霊玉手匣4』、そして3年の空白期間を経て2018年リリースされた『心霊玉手匣constellation』の計5作+外伝『WONDER TRIP LOVER』『Get Back』の2作から成る長編連作である。

ネットの感想を見てみると、モキュメンタリーホラーである『心霊玉手匣』は、同じ手法で撮られた白石晃士監督作品『戦慄怪奇ファイルコワすぎ!』と似ている、『コワすぎ!』フォロワーだ、と断定する風潮がここかしこで見受けられる(もちろん、ネットの世界でそういう意見が散目立つだけで、『心霊玉手匣』も『コワすぎ!』もどちらも好きという人が多いのだろうけど……)。
そのなかには、どちらが上、どちらが下と優劣を付けたがる人たちがいる。


もちろん、作品を観た感想をどう公言したとしても、それは視聴者の権利だ。
その作品について、面白いと言おうがつまらないと言おうが、あからさまな特定個人への攻撃や誹謗中傷の類いでなければ、その言論の自由は保証されている。
……と同時に、そういった感想や批評批判に対して、それを目にした別の人間がどう思い、どう判断するかも、また自由な権利として持ち合わせているのだ。

まずはこの記事を書いているオレ自身の立場を明確にしたい。

『心霊玉手匣』も『コワすぎ!』もどちらもモキュメンタリーホラーとして優れた映像作品だ。
ふたつの傑作において、その優劣の差も、上も下もない。

だいたい『心霊玉手匣』と『コワすぎ!』が似ているというのは、刑事ドラマの『西部警察』と『私鉄沿線97分署』が似ていると主張しているようなものだ。
制作会社のスタッフが主人公陣であるモキュメンタリーホラーという点のみで、似ている似ていないの判断を下すのは早計すぎる。

さらに『心霊玉手匣』についていえば、最後まで観た上で評価を下して欲しいと切に願っている。

そもそも『心霊玉手匣』と『コワすぎ!』は、役についても本筋についても、そのコンセプトが大きく異なっている。

『コワすぎ!』は、大迫茂生演じる破天荒な心霊ディレクター工藤仁をはじめとして、久保山智夏演じる市川実穂、監督である白石晃士演じる田代正嗣といった三人の強烈な個性を発するキャラクターが主人公として物語を回している。
役柄とそれを演じる役者は、もちろん同一ではない。
役と役者は完全に分離されている明確であり、最高のホラードラマだ。

工藤にしても市川にしても田代にしても、『コワすぎ!』の登場人物は、考えも方も行動も精神も超人的だ。
もしも自分が彼らの立場にぽんと据え置かれたら、彼らと同じ行動が取れるだろうか。
ほとんどの人が「無理」だと思う。
出来るわけがない。
しかし、彼らは苦悩はあるものの、峠を乗り越え、やり遂げるのだ。
それゆえに視聴者としては、「工藤すげえ!」と彼らを絶賛し、ヒーローあるいはダークヒーローとしての魅力を感じるわけだ。
工藤をはじめ主人公たちの一挙手一投足に注目するし、わくわくするし、興奮する。
「運命に逆らえってな!」に代表される、キャッチーなセリフに心を躍らせる。
自分たちには出来ないことをやってみせてくれる。
その胸がすくような爽快感が非常に気持ちいい。
視聴者はそう思うのだ。

一方で『心霊玉手匣』の主役たち、「チーム玉手匣」はどうだろうか。
「チーム玉手匣」ボスの岩澤宏樹をはじめ、スタッフの上園貴弘も唐澤一路も、演者と実際の役者名が同一である。
そのせいかもしれないが、実際の真偽はともかくとして、割と素に近いんだろうな、と思えるほど自然に画面のなかに溶け込んでいる。
大阪弁の上園のささやかな粗暴さもリアルな演技だし、唐澤の弱々しさや上の立場の人間がいないときの開放感の表現もまた現実的だ。
「ああ、こういう人ってどこにでもいるよな」と素直に思える。

登場人物たちにはそれぞれ個性豊かなキャラクター性があるが、『コワすぎ!』の工藤たちみたいに、超人性を発揮しているわけではない。
『心霊玉手匣』は能力者がいる世界観ではあるが、それでも主人公たちはあくまでもリアルな領域に止まっているのだ。

「霊感女子高生」両角奈緒(もろずみ・なお)を演じる新平真里亜にしても、理由があって自身の名前ではない「両角奈緒」を名乗っている。
口は悪いが思いは天使の二面性を持ち合わせる彼女は、能力はあるかもしれないが、まだ女子高生なのだ。
本来なら、普通の高校生としての青春を楽しむ人生があったはずだ。
なのに彼女は、自分の能力で見ず知らずの人たちを救っている。
救えないかもしれないが、必死になって救おうとしている。

岩澤や上園や唐澤に至っては、なんの能力を持っていない。
「無」能力者だ。
人より多少は勇気や思いがあるかもしれないが、その場その場で起きる様々な事態に戸惑い、運命に翻弄され、それでも精一杯生きている。
それだけの人たち。

そうなのだ。
彼らは、どこにでもいる普通の人たちそのもの、オレたちと同じ人間なのだ。
そして、生身の人間である主人公たちが様々な苦悩のなか、どうリアルに成長していくか……?
岩澤宏樹という映像作家は、モキュメンタリーホラーというかたちを借りて、その過程を描きたかったのだ、と考える。

『心霊玉手匣』は、日常のなかに非日常が紛れ込んだ世界で、運命の本流に翻弄され流れそうになっても、それに抗い、薄い板にしがみついてでも生きていこうとする人たちの群像劇なのだ。

以前、岩澤はこんなツイートをしたことがある。

もちろん岩澤ほど「心霊モノを面白いと思い、心の底からやり続けたい」と思っているホラー監督はいない。

その証左として、ホラー監督たちが集まったイベント(2018年12月20日放送「ラミプロライブVol.2_イベント会場から生放送!」)で、岩澤は映画監督である寺内康太郎から半ば冗談と敬意をもって、こう評された。

「心霊生まれ、心霊育ち」と。

この言葉には『ほん呪』卒業後に岩澤が監督として携わる心霊ホラーに対する方向性や岩澤が抱いている深い真意が込められている。
だから、このツイートの表面上の字面だけを受け取ってはいけない。
掻い摘まんでいえば、これは、自身が監督する作品を共につくりあげた同志であるキャストやスタッフたちに対する、岩澤の誠意ゆえの発言なのだ。

心霊ホラーを心の底から愛している岩澤宏樹。
その岩澤がつくりあげた『心霊玉手匣』は唯一無二のモキュメンタリーホラーであり、完結した今でも、作中から発する異常な熱は冷めることなく、観る人の心を燃やし続けている。

もし『心霊玉手匣』を観たことがない。
あるいは途中で観るのを止めた、という人がいるのならば、もう一度、『心霊玉手匣1』から観てもらいたい。

観た人も、もう一度、最初から観直してもらいたい。

そこには、岩澤宏樹とキャストやスタッフたちが描いた、暑苦しいほど熱い人間ドラマがある。



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