【心霊玉手匣2】『心霊玉手匣』シリーズは、本当にブレたホラー作品なのか?



映画監督岩澤宏樹は、2018年12月20日開催のイベント「ラミプロライブVol.2」で、このような趣旨の発言をした。

(『心霊玉手匣』では)一本一本やりたいことをやったが、視聴者目線ではそれがブレているとされ、売れなかった。
好きな人は食いつくが、ダメな人はダメだった。

ここで一ファンとしては思うわけだ。
『心霊玉手匣』シリーズは本当にブレているか、と。
シリーズの1から4まで、その軌跡を簡単に振り返ってみたい。

1は、岩澤の古巣である『ほん呪』投稿フォーマットを踏襲したように表面上は見える。
投稿作品が立て続けに流されるが、『ほん呪』とは異なり、それぞれ独立していた投稿作が最後にはひとつにまとまっていく。
1の結末は、シリーズ最後に至る伏線だ。
本作では岩澤宏樹、上園貴弘、唐澤一路のチーム玉手匣にヒロイン両角奈緒が加入する過程が丁寧に描かれている。
両角奈緒という、口は悪いが気持ちは天使というキャラクターがとてもいい。
よく練られて作られたキャラだし、それを演じきる新平真里亜の力量も感じる。

2もまた『ほん呪』投稿フォーマットの長編スタイルを踏襲している。
日常的に不可解な霊障に悩まされる押切美渚。
大学の探検サークルに入っている土保弘人。
自称超能力者土保のトリッキーな言動に、最初は頭がアレな扱いをするチーム玉手匣の面々だったが密着取材をするうちに……。
押切と土保──見ず知らずの他人であるふたりが最後にどう絡み合うのか。
この結末もまた、シリーズ最後での大きな伏線となる。

3は、投稿作というかたちを借りているものの、ふたりの男たちの暑苦しくも爽快な青春バディものだ。
チーム玉手匣は最後の最後にしか出てこない。
誰かの思念が頭のなかに映像として流れ込み、それをビデオに記録する念写能力を持つ岡崎律とその親友で「無」能力者の金田勇生。
見た目も言葉も行動も軽いふたりなのに、互いを思い合うその友情の強さは本物だ。
最後のシーンで岡崎は能力者としての苦悩を両角に訊ねるのだが、淡々と口にする両角の答えがまたいい。
自身の能力を人のために使っている彼女だからこそいえる、重みのある言葉だ。
3は4とセットでないと、という意見があるが、3単体でも十分に面白い。
4を観れば更におもしろいというのが正しい回答ではないかと個人的には思う。
とにかく、岡崎律役の福田雄也と金田勇生役の大井理弘の走り回り、叫び狂う熱演に胸が躍るのだ。

4は、投稿者は存在するものの、投稿作というかたちは捨てている。
川から海へと至る50キロメートルをひたすら歩く、ロードムービーだ。
チーム玉手匣のボスながら、これまでカメラマンに徹し、ほとんど存在感がなかった岩澤宏樹が影の主役となる。
俳優岩澤宏樹の鬼気迫る演技は凄まじい。
本作の投稿者であり、記憶を失った萱沼武史。
命を絶った自主映画の主演女優押野妙子。
萱沼が監督し、完成に至らなかった映画に秘められた過去と現在が交差する。
押野が残した予言が現実になるとき、それでも萱沼は岩澤とともに海を目指す。
そして流れる、Requiem。鎮魂歌。
ああ、なんて美しい朝焼けの海なんだ。
岩澤宏樹は、両角奈緒は、その結末に自分の無力さを思い知るのだが、それでも萱沼の意志を引き継ぎ、両角を主演にして未完成の映画を完成させようとする。
心が、感情が、揺り動かされる。
泣けて、泣けて、仕方がない。

確かにすべての作品でテイストが異なっている。
特に3以降はその傾向が強いし、この記事では敢えて大きくは触れないが最終作constellationはその最たるものだ。
ただテイストが違えども、シリーズすべてに共通して、両角奈緒や岡崎律のような能力者も、岩澤宏樹や上園貴弘や唐澤一路のような「無」能力者もひとえに悩みもがき苦しみながら、各人がそれぞれの答えを必死に見つけ出そうとしている。

主人公陣であるチーム玉手匣にしても、フェニックス岡崎と心の友金田にしても、あるいは人類を混沌の渦に叩き落とした「彼」にしても、自分がやるべきことをやろうと行動している。
そこには、青くさかろうが泥くさかろうが、どんな思いであれ、自分の気持ちに忠実に全うしようと突き進む人間たちのドラマがある。
主要な登場人物の誰もが、目が眩むほどの熱を持っている。

映像作品として、シリーズの一作ごとに表現方法が挑戦的に異なっている。
確かに表面をなぞっただけでは、流れが一貫していないと見受けられるかもしれない。
しかし、出来るのならもっと奥の方まで覗いてもらいたい。
その基礎となる部分が、物語の底には熱の本流が、一貫して流れていることがわかるだろう。
まったくもって、軸はブレていないのだ。

『心霊玉手匣』には人間たちの織り成す群像劇がある。
でも、それってそもそもホラーじゃないよね、という人がいるかもしれない。
怖さが二の次三の次にされているのではないか、と。

では岩澤宏樹という映像作家が『心霊玉手匣』で描いたものは、ホラーなのかどうなのか。
この質問に、オレはこう断言する。

紛うことなきホラー作品だ、と。

そもそもホラーとはなにか……?
怖いもの見たさ、という言葉がある。
見たら後悔することは最初からわかっているのに、見てみたいという気持ちが生まれる。
振り返ったら死ぬ、覗いたら死ぬ、といわれたら、振り返ってみたり、覗いたりしてみたいのだ。
どうしてか。
人間には好奇心がある。
それゆえの行動だ。
人は怪異に対して本能的に拒絶する一方、それでもその怪異の正体がなにかを知りたい生き物だ。
そんな怖いもの見たさの欲求──好奇心を満たしてくれる代替策がホラー作品というわけだ。
もちろん作品である以上、単純に恐怖を恐怖として捉えて終わり、というものではなく、その恐怖が面白さとしてどう変換されるのか、が重要だと考える。
たとえば、大多数の人が嫌悪感をもよおす虫をずっと画面に映し続ければ、それを見た人に恐怖感をそれこそ手軽に与えることができるだろう。
だけど、それだけなのだ。
仮にそんな虫を見せるにしても、そこに作品としての創意工夫がなければ、恐怖感が面白さに変わることなどあり得ない。
面白くもなんともなく、ただただ気持ち悪いだけだ。

つまりホラー作品とは、恐怖のなかから生じた、驚きであったり、笑いであったり、感動であったり、怒りであったり……。
人間の持ち合わせた様々な感情を揺り動かすエンターテイメントであると思う。

『心霊玉手匣』には、岩澤が『ほん呪』で手がけた──例を出すならば『首の家』に代表される、瞬間最大風速の瞬発力の高い、びっくり箱みたいな驚きはそこまで追求されているわけではない。
だが『心霊玉手匣』ほど、恐怖のなかに、視聴者にも暑苦しいほどの熱波を絶え間なく吹き付けている作品はないのだ。
恐怖の感情を、間違いなくエンターテインメントとして昇華している。
これをホラーといわないで、なにをホラーというのだろうか。

前の記事でも書いたが、ホラーの持つエンターテインメントの力を信じ、作品づくりに邁進する岩澤に対し、同業である映画監督寺内康太郎は「心霊生まれ、心霊育ち」と評した。

その言葉は多少冗談めかしたものではあったが、ホラー一筋で地道にキャリアを積み重ねた岩澤へと向けた、寺内最大の賛美であることに違いない。

また岩澤も岩澤で寺内に対して気持ちを持っている。
『心霊玉手箱 其の二』で土保が登場するシーンがあるのだが、アパートの壁に寺内康太郎が監督のひとりとして名を連ねた『東京シャッターガール』のチラシがさりげなく貼られていることも、その表れなのだろう。

岩澤と寺内、ふたりの監督が互いにリスペクトをしている様は、視聴者にとっても、なんと気分のいいことか。

<追記> 2019.1.2

『心霊玉手匣』其の二の土保登場シーンの壁に貼られていた『東京シャッターガール』のチラシの件について、2019年1月2日ビッグサマーチャンネル「心霊(仮)新年BS夏目・公式P・公式相談役からのご挨拶配信」にて、寺内さんが岩澤さんにその真偽を確認しました。

実際は、岩澤さんが意図的に貼ったのではなく、その家に住んでいた映像関係の方が普通に貼っていた、いわゆる”ありもの”とのこと。

これを書いているオレが妄想で深読みしすぎていただけでした。
すいません。
ただ意識的ではないものの、岩澤作品に寺内作品が登場しているのは、なんとも奇遇な話です。

その配信の中で語っていたのですが、寺内さんと岩澤さんが実際にきちんと逢ったのは2018年7月ごろ。
岩澤さんがいうには、まるで10年の付き合いのように話が出来たとのこと。
寺内さんがいうには、気を遣わなくて心霊の話をすとーんと出来て、心霊業界では一番話が早い、とのこと。

『心霊玉手匣』其の二がリリースされた2014年には、まだそこまでの間柄ではなかったのに、岩澤作品のなかで寺内作品が繋がっていたとは……。
やはりふたりの監督には、並々ならぬ縁があったということです。
その配信での一シーンです。
固い握手、いいじゃないですか!!

寺内康太郎と岩澤宏樹

岩澤宏樹と寺内康太郎

しかし残念なことではあるが、結果として『心霊玉手匣』は4巻でいったん幕を閉じる。
岩澤がいったとおり、作品としてレンタル回転も低かったし、売れなかったのだ。

岩澤はこんなツイートをした。

岩澤の無念さを感じる。

だが、岩澤はここで諦めなかった。
岩澤宏樹の、心霊玉手匣への暑苦しいほどの熱が冷めることはなかった。

以降、『心霊玉手匣』は、岩澤自身の物語と重なる。
むしろ熱量を更に増して、前へ前へと突き進んでいくのだ。



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