【心霊玉手匣4】ホラーとエンターテインメントと”やらせ”論

心霊玉手匣4



『心霊玉手匣』はモキュメンタリーホラーではあるが、メインキャストがリアルネームで画面に登場しているからこそ、群像劇を主軸にしたストーリー展開により確かな現実感を増している。
キャストだけではなく、作品を観ている視聴者もまた『心霊玉手匣』の世界で日々の生活を送っているのではないか、という実感。
平凡な日常のなか、突如として現れた異物みたいな怪異に巻き込まれるかもしれないと錯覚さえ覚える。
そういった没入感が半端ない世界観なのだ。

いやいや、なにいってるの?
これって、モキュメンタリーホラーだし。
ただの”やらせ”というか、ドラマでしょ?

……と思う人もいるかもしれない。

これはホラーだけでなく、どんなジャンルや作品にもいえることだが、エンターテインメントである以上、それを目にし耳にした人たちから「面白い」「普通」「つまらない」と評価されるのは当然のことである。
「面白い」も「つまらない」も評価や感想は、それを観た個人の自由だ。
全員が全員、大好きだという作品など、この世に存在するわけがないし、逆に全員が全員、大嫌いだと目を背ける作品もない。
事実無根のいいがかりや誹謗中傷の類いでなければ、エンターテインメントの受取手側は自分の思うがままに好き嫌いを判断すればいいし、作り手側や情報の送り元側は作品に対する肯定否定すべての評価や意見を前向きに受け入れ、次作をより良いものにするための糧にすればいい。

しかし「ただの”やらせ”でしょ?」とか、あるいは「単なるドラマでしょ?」と、その作品を「面白い」「普通」「つまらない」と判断する手前の段階で、たとえば「やらせだからクソ」などとシャットダウンする一部の受取手側たちに対しては、思うところがある。

特に”やらせ”という言葉について。
これは『心霊玉手匣』だけの話ではないが、心霊ホラー作品のタイトル名を検索すると、大抵の場合、”やらせ”というワードとともに検索されているケースが多い。
タイトル名+やらせの検索がまったくないホラー監督の作品は、ホラーコメディとして認識されている『心霊調査ビッグサマー』や『呪ギャル』の夏目大一朗くらいではないか。

”やらせ”なのかどうなのかを検索してまで確認することは、逆を返せば、その作品が現実世界において、それが真実か否かを知りたいという欲求の現れなのかもしれない。
それは本当にあったことなのか、それとも作られたものなのか。
一視聴者として、その真偽を知りたくなる気持ちはなんとなくわかる。

しかしだからといって、やらせのあるなしが作品の良し悪しを決める手前に登場してくるのはいただけない。
「やらせだからクソ」といった風潮こそ、ホラーを含めエンターテインメント業界を萎縮させ、それこそ作品をつまらなくしている原因のひとつではないか。
なんでもかんでも”やらせ”という言葉ひとつで作品そのものの価値を判断する前に切り捨ててしまうことは、本当に正しい姿なのだろうか。
ただただもったいないことだ。

極論をいってしまうと、エンターテインメント作品にやらせがあったとしても、そのなかに現実世界における許されざる犯罪性がなければ、どうでもいいことなのだ。
やらせのあるなしは、作品そのものの判断基準にならない。
やらせがどうこうとか、ドラマであるとかないとかは関係なく、重要なことはその作品が、面白いか面白くないか、の方だ。

『心霊玉手匣』は確かにドラマではあるが、それを踏まえた上でも没入感が半端ない、と前述した。
この世界は、視聴者のいる世界と地平が繋がっている。
リアルネームで主人公たちを登場させていることからも、作り手側はその繋がりを意識しているはずだ。
であれば、視聴者側はどうすればいい?
簡単な話だ。
それに乗っかってしまった方が単純に楽しいじゃないか。
1本のDVDを鑑賞する時間は、誰にとっても等しく同じだ。
1時間から1時間半の時間を過ごすわけなのだから、より楽しく過ごした方がいい。

限りある時間なかで、より楽しんだ者勝ちの思考。

そんな思考をもって作品を楽しんだ方が「やらせだからクソ」と声高に主張するよりもよほど有意義ではないか。

何度観ても楽しい。
そして鑑賞するたびに気づきがある『心霊玉手匣』という作品は、やはり最高のホラー作品であり、エンターテインメントなんだと思う。



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